傘を取られたことで、ショックな事実が浮き彫りになった。
ご飯を食べにいったときの帰り道での会話。その日は天気が不安定で、帰りは小雨だった。もう1年以上前の話。だけど鮮明に覚えてる。人によっては、大した会話に聞こえないかもしれない。だけど僕には、結構衝撃的なものだった。
先日書いた『空気を読むことは、少数派を切り捨てることと等しい。』と同じく、偽善者チック記事みたいになってしまうけど、書きたいことは書く主義なので、許して欲しい(´・ω・`)ゴメンネ
その会話は以下のような感じ。
僕『あれ、傘がない!? 誰かに間違えられたかなぁ。』
先輩A『そりゃ運が悪かったね。そこに置いてあるの持っていっちゃいなよ。他にお客さんいなさそうだし、大丈夫でしょ。』
僕『え、そりゃさすがにできないですよ(´・ω・`) 店員さんのかもしれないじゃないですか。』
先輩B『お前も取られてるんだから、これでおあいこだろ。』
僕『・・・いえ、駅まですぐですし、ダッシュしますよw』
先輩A『お前、そういうとこ、えらいよなぁ。』
先輩B『な~。まじめだよなぁ。』
僕『どうも(`・ω・´)笑』
笑って済ましたけど、僕は内心、ものすごくショックだった。一緒にいた先輩たちは、仕事熱心で、後輩にも優しい尊敬できる先輩だ。飲み会とかでも、いつも話題の中心にいる「空気を読める」人たちだ。
そんな人たちが、なぜこんな非常識なことを言うのか。なんで自分さえ良ければいいという考え方に行き着いてしまうのか。
先輩らにとっては、悪気はまったくない自然な会話だろうし、実際に傘を盗ったわけでもない。僕一人が勝手にショックを受けただけ。先輩らはそれ以降も変わらず、優しくて尊敬できる先輩たちだ。でも、ふっとこのときの会話が頭の中をよぎることが今でもある。本当に残念で仕方がない。僕の心が狭いのかなぁ(´・ω・`)
空気は読めるのに、相手の気持ちは考えない。こういう人って、世の中には一定割合で存在するのはわかっていた。身近で尊敬できる人たちの中にも、たしかに存在しているんだよなぁ。しかも悪気はまったくないのが、不気味で怖い。
僕はこどもの頃、親や学校の先生に怒られると、よく「○○くんもやってた! みんなやってたじゃん!」と、言い訳をしていた。そしてその都度「他の人がやっていたからといって、正しいとは限らない」ということを、しつこいくらい言い聞かせてくれた。
「他人の行動関係なく、自分が正しいと思うことをしなさい」と。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今でも僕の思考回路に根付いている。おかげで「空気を読む」というスキルは、周囲と比較して低めだ。
だから苦労する(させる?)ことも多いけれど、今までずっと、周囲の人間関係に恵まれ、あたたかく見守ってくれてる人が多いもんだから、今でもこんな感じで生きてこれちゃっている。
今回の件だって、先輩たちは「まじめだ。えらいね(`・ω・´)」で済ませてくれてるからね。ここで「何いい人ぶってんの? きもいわ(笑)」なんていう人たちだったら、なかなかそうはいかないからねぇ。
以前に『仕事はお金をもらってるのだから、辛くて当たり前というけれど。』という記事でも書いたけど、みんながお互いのことを考えることができれば、もっと生きやすい世の中になるのは間違いない。
・・・うん、わかってる。それは理想論でしかない。でも、希望は抱いてしまうよね(´・ω・`)
歯切れが悪いけど、この記事はこれでおしまい(`・ω・´)笑
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ゆとり隊長でした(´・ω・`)ションボリ
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— ゆとり隊長@年100万円生活 (@yutori_ing) 2016年10月15日
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