空気を読むことは、少数派を切り捨てることと等しい。

空気を読むことと、相手の気持ちを考えること・・・周囲に注意を払うという意味では似ているけど、まったくの別物だ。世渡り上手になりたければ、空気を読むことに特化すればいい。でもそれは、諸刃の剣。思いやりを大事に生きていきたい。僕はそう思う。

 

 

僕たちが生きる今の世の中は、空気を読むという技術は、必須スキルだといえるかもしれない。周りの状況を無視して、身勝手な行動ばかりしていれば、厄介者扱いされる。周囲に迷惑をかけてしまうかもしれない。

だから空気を読むことは必要。それに異論はないよ(´・ω・`)

 

だけど、空気を読むことを最優先させるのは、何か違うと思う。この考えに賛同してくれる人は少なくないんじゃないかなぁ。

 

僕は中学生くらいまでは『空気を読む』ということをあまりしていなかった。悪いことは悪い。良いことは良い。自分の物差しで判断し、人に合わせることはあまりしなかった。

それで特に問題はなかった。僕も含めて、みんな良い意味で単純だった。下心も何もない、シンプルな人間関係。バカなことをして笑い、けんかしたって次の日には仲直り。シンプルだった。

 

 

でも高校生くらいからかな。『空気を読む』ということを覚えた。正しいことを主張するだけでは、円滑な人間関係は作れないことを悟った。

一時期、クラスメイトの1人の悪口を頻繁に聞くようになった。些細なものだったけど、ついには聞き流すことができなくなった僕は「そんなこと言わず、みんなで仲良くやっていこうぜ」と良い子ちゃんのテンプレートのような発言をして、一定期間白い目で見られたこともあった。影で庇ったつもりだったその友人も、どういうわけか一緒になってこっち見てたなぁ・・・あれは結構切なかったなぁ(´・ω・`)苦笑

冷静に思い返すと「なんかあいつ、調子のっててうざい」とか、そんな些細な悪口だった。放置しておけば、そのまま消えていったものを、結果的には僕がわざわざ火に油を注いだ形だったのかもしれないね。

しばらくして、クラスメイトとの関係も元通り。違和感を覚えつつも、少しずつ「空気を読む」というスキルを身に着けるようになった。みんななんらかのきっかけがあるのかな。

 

 

こんなちっぽけな話なら、ただの笑い事で済む。でも定期的に問題になる『いじめ』って、多くの場合、こういう些細なものが拡大してしまったものだと思うんだよなぁ。

どんどんエスカレートして、一部の人が「止めないとやばい」と思っても、止められない。止めようとしたら『なにマジになっちゃってんの?』なんて言われちゃうかもしれない。空気を読んで、話をあわせているうちに、気付けばみんなが加害者。

 

 

僕が主張したいのは、空気を読むことを意識しすぎて、相手の気持ちを思いやることを忘れてはいけないんじゃないかなぁということ。ゆとりがえらそうにごめんね(´・ω・`)

空気を読むことに慣れてくると、心が麻痺してくるんじゃないかと僕は感じている。空気を読むということは、少数派を切り捨て、多数派に身をゆだねることと等しい。

みんな最初は、恐る恐る周囲の雰囲気を探る。本当にそれでいいのか、考えながら。だけどそれに慣れてくると、思考停止に陥ってしまう。

機械的に多数派についていき、その結果については、無意識に責任転嫁しちゃってない?

 

 

空気を読むのは大切だ。だけど極力、相手の気持ちを考えることを優先させたいと僕は思う。空気を読むということは、必ずしも正しいとは限らないし、何かを許す免罪符でもない。他人を傷つけてよい理由にはならないんだよね。空気を読む代償に、誰かを傷つけてはいないか。常に注意すべきだと思う。

 

・・・自分で読み直すと、気持ち悪いくらい偽善者!!って感じの文章(´・ω・`)苦笑

だけどさ。空気を読むことばかり意識して、本当の意味では相手の気持ちを考えていない人が増えているような気がするんだ。こんなことをえらそうに書いている自分自身も、こどもの頃と比較すると、空気を読むほうに重きを置いてしまっていることを実感している。

些細な悪口くらいでいちいち反応する必要はないのかもしれない。だけど、自分の中の正義と照らし合わせながら、空気を読まないという選択をすることも、ときには必要なんじゃないかと思う。

 

・・・なんか言いたいことの焦点が若干ぼけてるけど、何となく感じ取ってもらえたらうれしい(´・ω・`)

 

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ゆとり隊長でした(`・ω・´)キラーン


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