「真のやりたいこと」と「擬似的なやりたいこと」。

人生観★★★

「やりたいこと」には、「真のやりたいこと」と「擬似的なやりたいこと」の2種類があるのではないか…。今日はそんなお話です。

最近、やたらと「俺の人生論を語ったるぜ!」みたい記事が多いですが、そういうお年頃なだけで深い意味はないので、軽く読み流してください(´・ω・`)笑

やりたいはずなのに、やらない謎。

僕は、普段から「暇だなぁ」という感覚を持つことがほとんどないです。やりたいことはたくさんあって、時間はいくらあっても足りないと思っています。

いろいろ学んでみたいこともあるし、旅行にも行きたいし、リタイアの基盤づくりのために副業の1つや2つやってみたい…なんて思ったりもすることあったり。

一方で、やりたいことがたくさんあると言っているわりに、それらをやるよりも、のんびりと過ごすことに、最上級の幸福を感じることも少なくないんですよね。

「やりたいこと」の一言でまとめすぎ?

ちょっと前までは、「だらだらすること」が、他のやりたいことに比べて、自分の内側から生じる欲求が圧倒的に強いのだろうと思ってました。

おそらく、それも間違いではないと思うのだけど、『45歳を「仮想寿命」と考えることにしたので、そこまでの思考過程を晒す。』なんて記事を書いたり、「君の膵臓を食べたい」というマンガを読んだりして、「もしも自分の寿命があとわずかだとしたら、どう過ごすか?」なんてぼんやり考えていたら、気づいたことがありました。

それは、自分が「真のやりたいこと」と「擬似的なやりたいこと」を混同しているのではないか…ということ。

具体的にどう違うのでしょうか。

「真のやりたいこと」と「擬似的なやりたいこと」。

これは僕の勝手な定義だけど、「真のやりたいこと」というのは、焦点が『今』にあって、行動にうつす際、明確な目的や理由が存在しない(ことも多い)。すなわち、何となく定期的にやっている、あるいは、暇さえあればやってしまう、といった類のもの。

一方で、「擬似的なやりたいこと」というのは、焦点が『未来(将来)』にあって、それに取り組む目的や理由が存在する(ことが多い)。つまり、該当の行為そのものより、その先で得られる果実がほしい、といったものでしょうか。

もう少し直感的に理解できそうな表現に置き換えましょう。たとえば「あなたの余命は3ヶ月です」などと告げられたとして、それでもやりたいと思うことは「真のやりたいこと」で、未来が短いとわかったら関心が弱まるとしたら、それは「擬似的なやりたいこと」と考えられそうです。

たとえば、ダイエットしたいという人がいたら、それはあくまで「擬似的なやりたいこと」であって、その先にある果実(理想的な体型?)がほしいのでしょう。

やりたいのに、やらない理由。

こう考えると、やりたいことがたくさんあるはずなのに、それらをやるよりも、のんびりと過ごすことに幸せを感じる理由が説明できそうです。

つまり、時間があっても実行に移せない「やりたいこと」というのは、「真のやりたいこと」ではなく、「擬似的なやりたいこと」だというわけですね。

「真のやりたいこと」は、その行為そのものが自分にとって大切なことであり、快楽を与えてくれるものです。しかし、「擬似的なやりたいこと」というのは、その行為の先で得られるものがほしいわけで、「真のやりたいこと」のように、すぐに快楽が得られるという性質のものではないんですよね。

「擬似的なやりたいこと」は向上心につながる。

「擬似的なやりたいこと」なんて言うと、偽物みたいに聞こえてしまうかもしれないけれど、決してそういうわけじゃないと思っています。

「擬似的なやりたいこと」の先に、すばらしいご褒美が待っているのですから、それが向上心につながりますよね。

しかし、向上心がありあまっていて、「擬似的なやりたいこと」ばかりに関心がいっているようであれば、一度立ち止まって「真のやりたいこと」に目を向けるべきかもしれません。

「真のやりたいこと」も大切にしたい。

人によって「真のやりたいこと」というのは、他人から見れば(あるいは、自分からみても)何の生産性もなく、大して意味のないことかもしれません。

僕の場合だと、「真のやりたいこと」の筆頭がのんびりと過ごすことで、その後に、マンガを読んだり、ネットの世界を漂って物思いにふけたり…といったことが続きます。もう何年も前に書いた記事だけど、「学生時代をだらだら過ごしたと自覚がある人へ。」でも、似たような主張をしてますね笑。

ぶっちゃけ、もっと有意義な時間の使い方があるんじゃないかなんて思うこともあるのだけど、もしも無駄な時間だったとしても、やりたいことをできることが一番幸せだと思うのです。

「やりたいこと」の性質は変わる。

ちょくちょくTwitterでもつぶやいているけれど、僕はプログラミングに興味があって、たまに独学しています。ここ最近は、VBAがマイブームです。

今までプログラミングは、「擬似的なやりたいこと」に近いもので、やる気スイッチをONにする必要がありました。学ぶことも楽しいけれど、それはあくまで通過点で、真の目的は、学んだ知識を何かしらに利用できるようになることだったからです。

しかし、最近は仕事で個人的にVBAを使うことがあり、目的地に近づいたことで、「真のやりたいこと」になりつつあります。(一時的かもしれませんが、)やる気スイッチが不要になりました。

逆に、かつての「真のやりたいこと」が、いつかそうでなくなるときもあるのでしょうね。寂しいですけど(´・ω・`)

自分を見失わないために。

人生は何があるかわかりません。考えたくもないですが、極論をいえば、明日が必ずくる保証はないのです。

「擬似的なやりたいこと」から生まれる向上心や情熱といったポジティブなエネルギーも必要不可欠ですが、残された時間が少なくなったときに頭をよぎるのは、今まで「真のやりたいこと」をどれだけやってこれたか、そして、残された時間にやる「真のやりたいこと」は何か…ということだろうと思います。

自分の「真のやりたいこと」を知り、それをできる環境を整えてあげることこそが、自分らしく生きるということなのかもしれませんね。

これまでの自分の人生を振り返ると、「真のやりたいこと」のうち、優先順位の高いものは、ある程度やってこれたなーと感じます。今後も、そういう状態を保ちたいものです。

以上、ゆとり隊長でした(`・ω・´)!


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