自由とは、自分で「縛り」を選ぶこと。

人生観★★★

僕は、節約とミニマリズムを融合させ、のんびり暮らしたい。今のような正社員として働いている状態を早く脱して、自由になりたい。そう願っている。

「時間的」自由がほしい。

そう、僕は自由がほしいのだ。それにもかかわらず、昨日、こんなことをつぶやいた。

これは、遊民さんの「縛られない自由な生活は超つまらない?」という記事と、そこで紹介されているつぶやきを受けて、何となく感じたことを書いたつぶやき。

自由を求めることと、縛りを受け入れること。これは、矛盾しない。

「自由」という言葉は、些か意味が大雑把だよね。

僕が欲しているのは、時間的な自由であって、何もかも自分の思い通りになる生活を求めているわけじゃないんだ。

もう少し具体的にいうと、毎日好きなだけ寝れる生活をしたいと望むけれど、豪遊生活がしたいわけじゃない…ということ。

縛りがない暮らしは幸せなのか。

良い機会なので、暮らしにおける「縛り」について、僕の思うことを書いておきたい。

縛りは、決して悪ではない。正義だとは言えないけれど、悪ともいえない。

それは、逆説的に考えると見えてくる。「縛り」が一切なければ、本当に幸せなのか。

「縛り」にはいろいろなものがあるけれど、たとえば、今このときから、お金の心配が一切なくなったとしよう。どんなにがんばっても使い切れないくらいの莫大な資産が、手元に湧いたとしたらどうか。

仕事を辞めて、ぴかぴかのキレイなマンションにでも住んで、美味しいものを食べて、世界中を旅行して…それは楽しい毎日かもしれないね。

だけど、人の欲望には上限がない。

もっと良い住処があるはず。もっと美味しいものがあるはず。もっと美しい景色があるはず。もっと、もっと、もっと。

そもそも、「縛り」はなくならない。

先の例でいれば、お金の心配がないということは、お金を理由にできないということ。そう考えると、皮肉にも、「お金という縛りがない」ことが縛りになってしまうかもしれない。

ここで、にゃんす姉さまのツイートを紹介したい。

そう、「縛り」がないことが、「縛り」なってしまう。すなわち、「縛り」はなくならない…ということに他ならない。

もっと原始的なことを言えば、人には寿命という縛りが存在するしねぇ(´・ω・`)

自由とは、「縛り」を自分で選ぶこと。

こうやって書くと、「じゃあ自由は存在しないのか?」と思ってしまうかもしれない。その明確な答えを僕は持ち合わせていないけれど、今の僕なりに出した答えはこうだ。

自由とは、「縛り」を自分で選ぶこと

前述したとおり、「縛り」というのはなくならない。では、どういう「縛り」を受け入れるかを自分で決めること…それこそが、僕たちが目指すべき「自由」なのではないか。

僕は「節約」という縛りを受け入れる。

僕は、時間的な自由を欲する代わりに、「節約」という縛りを納得して受け入れている。

納得して受け入れた縛りは、決して悪ではない。むしろ、良い方向に働くことのほうが多いのではないか。

たとえば、僕の場合だと、節約という縛りのおかげで、「もっともっと…」といった欲望の縛りから解放され、「足るを知る」や「取捨選択」といった思考のベースになっていて、自由を構築する要素の1つと言ってもいいくらいだ。

暮らしに「ゲーム」の要素を加えてくれる。限られた予算で、より満足度の高い生活を目指すという知的なゲーム。どう、面白そうでしょ(`・ω・´)?

…そんなことはない? そうですか(´・ω・`)笑

終わりに。

まとめとして、一言。

「自分で選んだ生き方だ」と思えることが、一番大切なのだと思う。

どういう幸せを求めて、どういう縛りを受け入れるのか。これを、常に考えておくべきなのだと思う。

そのあたりを曖昧にして、「国が悪い」「社会が悪い」「あの人が悪い」などと第三者のせいにしていても、何も好転はしない。自分の人生の責任は、自分にある

少なくとも、日本で暮らす僕たちは、多くのことを自分で選択できる環境にいる。その幸運に感謝して、自分らしい生き方を模索していくことが、自分たちにできる最善のことなのではないでしょうか。

以上、ゆとり隊長でした(`・ω・´)♪


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