人生を「延長戦」感覚で楽しむ。

人生観★★★

人生は永遠には続かないのは確定事項で、それがいつ終わるのかもわからない。明日ではないという保証はどこにもないし、何十年もあとの話かもしれない。

…ということで、たった1度の人生、楽しく過ごしたいものだね、というお話です。一見、重たくて暗い内容に読めるかもしれないけれど、本人はいたって前向きな気持ちで書いてるので、そのへんは誤解のないようにお願いします(`・ω・´)笑!

人生は、不安定で儚い。

幼い頃、両親に「いつ死ぬって事前にわかるのかな? あなたは、あと3日で死にますよーみたいに、前もって教えてもらえるのかな?」と聞いて、苦笑いされた記憶がある。子どもというのは、突拍子のないことに疑問を抱くものだよね。

その答えは(少なくとも現在の医学では)Noだし、仮に医学的な寿命がわかったとしても、災害や事故などのトラブルは予期できない。

人生は、たった1つのきっかけで(悪い意味で)一変することがあるし、最悪の場合は終わりを迎えてしまうこともある。そういう意味で、人生は、とても不安定で、とても儚いものなのだと思う。

どうしてもやりたいことは、早めにやっておく。

だから、やりたいことは、早めにやっておくべきなんだろうと思う。

ちょっとでもやりたいと思ったことはすべてやる…なんてことは難しい。だから、ある程度の取捨選択が必要になると思うけど、とにかく、強くやりたいと思うことは、早めにやっておくように心がける。

将来の楽しみに取っておく…なんて生ぬるいことは言っていられない。その将来が、最高のコンディションで迎えられるとも限らないし、そもそも存在する保証だってない。人生、何があるかわからないのだから。

どうしてもやりたいことは、意外と少ない。

そんなことを考えていたら、僕はやりたいことは、既におよそやってきたなーなんて思ったりもした。

幼少期から親元を離れるまでも、比較的自由(放任?)にさせてもらってきたし、大学でひとり暮らしをはじめてからは「これでもか!」というくらいやりたい放題で、楽しい時間を過ごした。ぐうたらした暮らしだったり、旅行だったり、自分の思う最高の暮らしをできた。

社会人になってからは、生活に不満を抱きつつも、人間関係は相変わらず恵まれた状態が続いていて、それなりに楽しくやってきた。また、多少なりとも社会に貢献していることを実感できるようになった。おいしいものもたくさん食べた。

ブログやTwitterを通して、微力ながらも誰かの力になっているのかも?なんて感じられることも出てきた(助けてもらうことのほうが圧倒的に多いのだけど)。節約とミニマリズムによるエコノミニマルという暮らしを提唱し、だいぶ理想に近づいてきた。短い時間ではあったけれど、念願だった無職生活を送ることもできた。

現時点で、「これだけは絶対にやりたい!!」というものは何か?と問われると、ほとんど何も残っていない

現時点でやり残している、たった1つのこと。

ここまでで、「いやいや、ちょっと待てよ。おかしいだろ」って思った人もいるかもしれない。そう、僕は日々「やりたいことが多すぎる。時間が足りない」と発言しているわけで、矛盾している。

だけど、その矛盾は、自分の中では解消されている。僕がやり残しているのは、「のんびりと過ごす」なのだ。具体的に何かをやりたいというよりも、その気になれば何でもできるような、圧倒的な余暇時間を有する暮らしをしたいのだ。

やりたいことがたくさんあるのは事実なのだけど、それ1つずつは、どうしてもやりたいという程のものではない。「どうしてもやりたいこと」は、今まで最優先でやってきたのだと思う。そうではなくて、「どうしてもやりたいこと」以外にも時間を割けるような暮らし。これが、僕のたった1つのやり残したことなのだと思う。

半年ほど無職生活を送ったけれど、あれだけでは物足りない。これは僕の直感だけれど、とりあえず5~10年くらいそういう生活を楽しめば、「やり残した」という感覚は消えるんじゃないかと思っている(お腹いっぱいになるかは別問題だけど)。

人生を延長戦感覚で楽しむ。

新卒で入った会社を辞めた時点で、正社員としての社会人生活は、延長戦に入ったと位置づけた。延長戦なのだから、いつ辞めてもいいと思っていて、なかなかに気楽だ。この感覚はなかなかいいもので、投げやりのように聞こえるかもしれないけれど、無用な悩みを持たずに済むので、わりとポジティブに機能することが多い。

これと同様で、人生そのものも、なるべく早く「延長戦」という感覚を持てるようになったらいいなと思う。そのためには、一刻も早く、僕にとってのやり残し、圧倒的な余暇時間を有する「のんびりとした暮らし」を実現させたいところだ。

明日が人生最期の日になっても後悔しないような生き方…というのは難しいけれど、数年後をイメージして生きることはできると思う。

今の職場でもう少し学びたいこともあるし、がんばりたいなと思うから、すぐにというわけにはいかないけれど、タイミングを誤らないようにしたい。

後悔と距離を置く。

最期を笑って迎えられるのが最高の人生なのだろうと思っている。そして、その最も大きな障害になるのが、後悔という魔物だ。後悔のない人生なんてないとは思うけど、極力減らしていくことはできる。

先日、こんなことをつぶやいた。

このツイートを、見事にわかりやすく言語化してくれている記事を見つけたので、一部を抜粋で紹介しておくね。

人生の満足度は後悔の量によって決まってくる。
そして、後悔の量は自分の行動に対する評価によって決まる。
では後悔とは自分の行動をどのように評価したときに起こるのだろうか?
後悔とは、次の2つが重なったときに起こる。

  1. 自分の本心から決断したこと以外の行動をする
  2. 自分の望む結果にならなかった

どちらかだけでは後悔は起こらない。
この2つが重なったときにだけ起こるのだ。

満足度の高い人生とは「後悔の少ない人生」である。では、後悔を少なくするには?

反省と後悔は、表面的には似ているけれど、本質がまったく違う。反省は積極的にすべきだけど、後悔とは距離を置きたいものだね(´・ω・`)

終わりに。

20歳を超えたあたりからしばらく、年を取るのが怖いと感じていた。このまま、あっという間に年を取ってしまいそうで。でも、ここ数年は感じ方が変わってきていて、何かの拍子に自分の年齢を目にすると、「ここまで大事なく楽しく生きてこれてよかったな」なんて思うようにもなった。良い傾向だと思う。

人生経験豊富な先輩方からすれば、ゆとり世代が語る人生論なんて、薄っぺらくて目を覆いたくなるかもしれないし、ちょっとGoogle先生に尋ねれば、もっと重みのある記事がたくさん出てくると思う。でも、自分の言葉で書いてみたかったので、長々と記事にしてみました。

以上、ゆとり隊長でした(`・ω・´)!


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