今だからわかる、自分の中で「何かが変わった」と思う瞬間。

その場ではわからなかったけど、後から振り返ると、あのとき、自分の中で「何かが変わったんだろうなぁ」と思う瞬間が、過去にいくつもある。どれも何気ない日常の一コマなんだけど、結構はっきり覚えてたりするんだよね。

…なんてことをふっと思ったので、今日は自分にとっての変化点となったできごとについて、記憶を頼りに書いてみることにする。今日はそんなお話です(`・ω・´)!

ちょっとネガティブな話も入ってるけど、そのときの「一瞬」を切り取ったから、そういう雰囲気になってしまっているだけなので、あまり気にしないでね。基本的には、小さい頃から今に至るまで、好き勝手やってきた人生だと自信を持って言えるくらいなので(笑)つまらない話が続くのは、ご愛嬌ということで。では、本題へ。

思いやりが足りないと言われた小学生ゆとり。

変化点という意味で一番古い記憶は、小学校高学年になった頃の話。担任の先生が、家庭訪問だか何かで、母親に「ゆとりくんは、周囲へのお友達への思いやりが少し足りてない」と話したらしい。悪気はないわけだけど、子ども特有の空気を読まない発言や行動が、周囲の子よりも相当多かったのだと思う。

母親からその話をされ、僕はそんなことはないと全力で反論するわけだけど、母親に「先生が親の前で、子どもの悪い部分を指摘するなんて、根拠なくできると思う?」と言われ、納得するしかなくなった。さらに「担任の先生に感謝しなさい。先生は、あんたのことを思って、リスクを背負ってまで注意してくれたのだから。適当な先生だったら、わざわざそんなことしないよ」と付け加えられた。

最初は親に告げ口をされたようで不快だったけれど、言われてみればもっともな話。先生から注意されたくらいで急に変わるわけもないんだけど、ちょっとだけ気をつけるようにした。ときどき「あ、こうときのことを言われてるのかもな」と思う瞬間があったりもした。

このできごとがきっかけで、その後、年を重ねるごとに「何でも0と100だけでは語ることはできない」とか「自分の正義が相手の正義だとは限らない」とか「仮に自分が正しかったとしても、伝え方次第で相手を傷つける」とか、そういう当たり前のことを理解できるようになった。無邪気な子どもから、大人の階段を一段のぼったのかもしれない。

このときの先生(と親)の言葉は、ちょっとしたことだったけど、今思えば、幼きときの人格形成において、そこそこの影響を与えてくれた。だからこそ、今でもはっきり覚えているのだと思う。生徒みんなの母親のような先生。今も元気だといいな。

仲良しの友達と離れ離れになった中学生ゆとり。

小学生の頃に親友だと思っていた友達数人が、ことごとく別の学校にいってしまった。うち何人かは、以前から私立中学への進学を目指していることを公言していたから知っていたんだけど、一緒の学校に行けると思っていた友達まで、別の学校に行くと聞いたときはショックだった。

さらに悪いことに、中学に入って、また仲の良い友達ができた…と思ったくらいのタイミングで、その子は転校していってしまった。親の仕事の関係だった。

その後、人間関係で困ることはなかったけど、仲の良い友達でも、いつか別れはくるんだということを意識するようになった。今であれば携帯電話とかあるわけだけど、僕が中学生だった頃は、子どもにまでは普及していなかったから、余計にそう感じたんだろうね。

いつまでも側にいるかわからないのだから、今自分の周囲にいる人を大切にしたいと思った。また、いつまでも側にいるかわからないのだから、あまり依存してはいけないとも思った。

その時々で、周囲の人を大切にする。だけど、極度に依存することは避け、また依存されることも避ける。何かしらの形で別れをむかえたときも、良い思い出をそっと胸にしまって、笑顔でさよならできるように。…たぶんだけど、今の僕の人付き合いの基盤となっているのは、この頃の感覚だと思う。

酷く落ち込んでいた高校生ゆとり。

高校生になって、酷く落ち込んでいた時期があった。今思うと大したことはないんだけど、当時は悩んでいたんだろうね。そりゃ多感な高校生。誰でも悩みの1つや2つくらい、あるものです。それが僕にもあったという話。

これ、前にもどこかで書いたかもしれないけど、部活動が終わって帰宅する電車の中で、自分の生き方を大きく変えるできごとが起こった。電車の窓に映った自分の顔が、ふっと目に入った。明日、地球が終わっちゃうのかなって思うくらい暗い表情をしている自分が、そこにいた。もうね。怖かった。こんな顔して、僕は生きているのかって思うと、とにかく怖かった。ぞっとした。

だけど、同時に笑えてきた。いやいや、何をそんなに悩んでるんだよって。そこまで深刻な顔をする悩みじゃないよねって。そのときは真剣に悩んでいたわけだけど、ちょっと冷静になって客観的に自分をみると、大したことじゃなかった。自分が見える狭い世界で起きた、ちょっとしたトラブルに過ぎなかったんだよね。

すると、すべてが吹っ切れた。いつも笑顔でいようと思った。もう自分に、あんな自分を見せちゃいけないって思った。そして、もし今後、自分があんな顔をするほど苦しむことがあったら、自分を全力で守ろうと思った。落ち着いて考えて、それでも解決できそうになければ、すべてを捨てて、逃げちゃえばいいと思った。

当時の悩みなんて、今となっては記憶も曖昧だし、くだらなすぎて恥ずかしいくらいなんだけど、そのとき電車の窓に映った自分の顔は今でもはっきり覚えている。もう2度と、あんな顔は自分に見せたくない。

おそらくこのできごとが、僕史上もっとも「自分の中で何かが大きくはじけた瞬間」で、いざというとき、僕は僕自身を全力で守ると決めた。こうして、自分との向き合い方が確立した。他己評価ではなく、自己評価で生きることを今まで以上に意識するようになった。

同時に、尊重することと理解することは別だと気づいた。今までの自分は、なるべく多くの人を理解し、自分もなるべく多くの人から理解されたいと無意識に思っていた。だけど、それは奢りであり、あまり意味もないと思った。尊重し、尊重されればいい。その中で、しっくりくるときは、理解し、理解されるように努めればいい。

「いざというときは自分を守る」という自分との約束は、今も頑なに守っている。つい最近、一度無職になったのも、自分との約束に従ったまで。いろいろと悩みはしたし、結論を出すのに時間はかかったけど、特別なことをしたわけじゃないと思っている。

スケールの大きいことを言ってるわりに、きっかけとなったできごと自体は、凄まじくしょぼいけどね(苦笑)

地元を離れて一人暮らしをはじめた大学生ゆとり。

元々、大学生になったら一人暮らしはしたかったわけだけど、いつでも地元に戻れる距離の大学に進学するつもりだった。だけど、高校3年生の秋くらいだったかな。遠くの大学にいこうかなーと両親に打ち明けた。半分以上冗談で、気まぐれな発言だった。両親の反応は思いのほか軽く「国公立なら好きなところにいけばいいよ。どうせ一人暮らしをするなら、費用もさほど変わらないだろうし(笑)」という感じだった。

そんな軽い会話の中で、僕は地元を離れる決意をしたわけだけど、いざ出願するとなると、ちょっと怖くなった。遠く離れた土地で一人暮らしをはじめたら、何でも自分でやらないといけない。しかも、実家に帰るには、相当なお金と時間がかかる。やっぱり近場で進学しようかな…。

日和りかけていた僕に、父親は「自分も大学進学で一人暮らしをした。大抵の問題は、ちょっとのお金があれば、何とでもなるから安心しろ。最低限の仕送りはちゃんとしてやるから、深く考えず気軽に行けばいい」と、男前なことを言ってくれた。普段節約に励んでるくせして、子どものやることにはお金を惜しまない。恐ろしい人たちだ。

そして、見知らぬ土地で自由気ままな生活がスタート。気楽にやればいいと言われたのを都合よく解釈し、大学時代の99%を「学生時代をだらだら過ごしたと自覚がある人へ。」に書いたような、ぐうたら生活を送った。この生活で、お金と時間の関係を学んだ。学生時代はわりと浪費もたっぷりしていたけど、自分の中で結論は見えていた。時間さえあれば、僕は幸せなのだ。

一方で、1%だけ思い切って行動したことがあった。ちょっとしたきっかけがあって、地元だけでなく日本からも離れてみたいと思い、「スーツケース1つで数ヶ月間旅行したときの話」に書いたような一人旅をした。働き方や文化、食生活、ファッション、恋愛観まで、いろんな考え方に触れることができた。日本の良いところも知れたし、悪いところやおかしなところも知れた。

これらすべての起点となったのは、自分の気まぐれな思いつきに対し、背中を押してくれた父親の言葉だった。そして「お金さえあれば…」という発言は、普段、ちゃんと節約しているからこそ言える言葉なのだと気づき、後にBライフとともに、僕の節約生活を支える思想の1つとなった。

ブログのおかげで断捨離に成功した社会人ゆとり。

社会人になって、いろいろと悩みだした頃、またしても思いつきで、ブログをはじめた。元々は期間限定で運営するつもりだったので、頭の中にあるものをすべて出し切るくらいの勢いで毎日投稿していた。そしたら、多くの仲間ができた。なんというか、同じ目的地を目指す人たちが、世の中にはたくさんいるんだとわかった。

こんな感覚が根付くと、今までできずじまいだったことも、前向きに取り組む気力が出てくる。そのポジティブな感情をブログに書くようになり、書いてしまったからには、自分に言い訳ができる程度には実行に移したいなぁ…と考えるようになった。自分に凄まじく甘い僕が、自分で自分をちょっとだけ律する技を取得したわけだね。ブログって便利(笑)

あるとき、断捨離に関して、うっかり大きな目標を立てて、うっかり公表してしまった。なんと、2016年中に所有物を3割程度に減らし、1週間もあれば引越しの準備ができる状態を目指す…らしい。汚部屋出身の僕が。

2016年が終わりに近づいた頃、その記事の存在を思い出し、慌てて行動に移した(汚部屋出身ゆとりの断捨離レポート。)。3割とまではいかなかったんだけど、(元々が汚すぎて)今までとは景色が変わる程度に、モノが減った。その勢いのまま延長戦に入り、「自由の象徴だった大型の本棚を手放した。」や「年100万円生活のゆとりは、ついに無職になりました。」で書いたとおり、がっつりと断捨離。自分なりのミニマリズムを築くことに成功した。

以前から、エコノミニマルな暮らしというものを提唱していたけど、自分自身が実現できていなかった。ブログの力を借りて、やっとそれに近い状態を作れたことになる。気まぐれではじめたブログで、何気なく大きな目標を書いてしまったために、半ば強引に実行に移した断捨離。ブログがなかったら、ここまで思い切ったことはできなかったかなと思う。

そして、このとき断捨離を決行したからこそ、退職して引越し、最高の無職生活を送ることができた。さらにいえば、お金さえあればいつでも引っ越せる状態だったからこそ、良い求人を見つけたとき、思い切って応募することができた。もし、以前の自分みたいに、モノに溢れた部屋を抱えていたら、引越しを躊躇って、今の仕事には就いていなかったと思う。今の仕事に就いたことが正解かどうかはまだわからないけど、より多い選択肢の中で選べたということだけは、間違いのない事実だ。

今までにブログやTwitterから受けた恩恵は、とても大きい。

終わりに。

自分以外の人からみたら、取るに足りないしょぼい話ばかりだと思うんだけど、僕にとって、これらは転換点ともいえるできごと。

人生というのはわからないもので、ちょっとしたきっかけで、生き方や考え方、行き先が大きく変わる。日常の「気まぐれ」「偶然」だって、大きなきっかけになりえるから、そういうちょっとしたことも大切にしたいものですね。

さらっと書くつもりが、いろいろと思い出してしまって、なかなかの長文になっちゃった。いつもながら、よく恥ずかしげもなく、つらつらと書けるものだよ、ほんとに。意味ありげに書いてるけど、どれも誰もが経験するような小さなできごとだからね(笑)

だけど、こういう前向き(?)な記事は、あとで読むと、元気をもらえたりするからね。誰の役にも立たないけど、自分にとってはなかなか貴重なんだ。

ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。ゆとり隊長でした(`・ω・´)!


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