謙虚な社畜さんと僕の未来予想図。

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ふっと周囲を見渡せば、謙虚な社畜さんで溢れてる。彼らは身を粉にして働き、周囲にも気を使う。そんな彼らを、僕は心から尊敬する。でも憧れの感情は生じないし、絶望すら覚える。今日はそんなお話です。

謙虚な社畜さんが多い我が社。

僕が務める会社の人たちは、ごくごく一部のオラオラ系の人を除けば、総じて人柄が良い。常日頃…とまではいかないにしても、互いに空気を読み、互いに気を使える人たちばかりだ。

だけど社畜思考な人が相当な割合でいると感じている。彼ら・彼女らは、真面目で責任感に溢れている。さらに謙虚で、決して自分を高く評価しない。まさに謙虚な社畜。

多少理不尽な扱いを受けても、受け入れる。たまに愚痴を言っているのを聞くこともあるけれど、雑談のネタといった感じなのだろうか。あまり強い感情は抱いているようには聞こえない。

謙虚な社畜さんへの絶望。

僕は謙虚な社畜さんたちを、心の底から尊敬している。尊敬している…しかし一方でもやもやした気持ちがまとわりつく。

(´・ω・`)「なぜこんなに頑張っている人たちが、こんな扱いを受けてるの?」
(´・ω・`)「なんでこんな扱いを受けて、それを笑顔で受けとめちゃうの?」

社員は歯車だといえど、やはり重要な歯車になっている先輩社員がたくさんいる。そういう優秀な社員たちは目立つから、僕たち若手社員は、少なからず見ている。そして会社員としての理想的な自分を、真っ白なキャンパスに少しずつ描いていくのだと思う。

その過程で、優秀とされる社員の大半が「謙虚な社畜さん」であるという事実に気付かされる。さらに周囲に目を配ると、能力や評価に関わらず、「謙虚な社畜さん」ばかりであることを知る。

憧れの対象不在で迷子。

僕には今まで、憧れの対象が比較的近くに存在していた。先輩、先生、友人、知人、両親、親戚…そのときどき、それぞれの分野で、無意識に憧れの対象を見つけて追いかけていたのだと思う。強い憧れというよりは、霧中の道標のような存在だった。

そしてその憧れの対象は、自分が進む先に存在していた。たどり着けるかどうかは別として、彼らは確かに、僕が今後歩むであろう道の先にいた。距離は離れていても、繋がっていると感じていた。

会社には、「霧中の道標」となってくれる人がいない。みんな僕の行きたい方向とは違うほうに向かって歩いていく。僕はそっちに行きたいんじゃない。あっちに行きたいんだ。

謙虚な社畜さんと僕の未来予想図。

凡人である僕が今の会社で生き抜くためには、「謙虚な社畜さん」でいなければならないのか。入社して数ヶ月で抱いた疑問は、時間の流れとともに確信に近づいていく。

尊敬できる人に囲まれて働いているのに、彼らみたいにはなりたくないと強く願う。心から尊敬しているのに、彼らを心から信用することはできない。僕なんかよりずっと優秀なはずの彼らを、無意識に「愚かだなぁ」と感じてしまうこともあって、自分でも恐ろしいなぁと思う。

人にはそれぞれの正義がある。それを理解する余裕もなく、見下すようになったらおしまいだ。現状のままでは、僕に未来はないのだろう。

でも想定の範囲内だぞ(`・ω・´)!

最後にちょっと強がっておくよ(`・ω・´)!

いろいろ書いたけど、別に驚くようなことでもないんだ。希望的予測からは外れてしまっているけど、想定の範囲内。そもそも労働の現状を見極めることこそが、今この場所にいる目的の1つなのだから。

会社には憧れの対象は不在だけれども、外に目を向ければいくらでもいる。多様性が認められつつあって、無数のライフスタイルから自分に合ったものをチョイスできる時代だ。そんな時代に生まれたことに感謝しながら、今後も生き方を模索していきたいと思う。

以上、ゆとり隊長でした(๑•̀ㅂ•́)و✧

 


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