子どもの頃、勉強の見返りにご褒美をねだって瞬殺された話。

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ご褒美。あぁ、なんて甘美な響き。わかる。痛いほどわかる。ご褒美の魔力は強力だ。だけど個人的には、ご褒美という概念はあまり好きではないんだよね。今日はそんなお話です。

子どもの頃にご褒美をねだって瞬殺された話。

僕が中学生だった頃の話。定期試験が近づくと、よく友人が「学年30番以内に入ればお小遣いがもらえる!」とか「80点取ればゲームを買ってもらえる♪」とか話すのを聞いていた。徐々にうらやましくなった僕は、母親にご褒美の必要性を強く訴えた。ご褒美があれば、僕はもっとがんばれると主張したよ(`・ω・´)!

すると一言で瞬殺された。母は言ったんだ。「お前は何のために勉強してるの? ご褒美がなければできない勉強なら、やめちゃえば?」と。

わーぉ。言い訳と理屈をこねることなら神の才能を持つと自負する僕だけど、正論過ぎて反論できなかったよ。冷静に考えれば、テストで良い点を取ったからといって親が子どもにご褒美をあがる理由なんて何一つないよね。

子どもへのご褒美は自主性を殺す。

子どもにご褒美を用意するときは、十分に注意してほしい。ご褒美は主体性を殺してしまう恐れがある。前述したような試験の結果に対してご褒美を与えるような方法は、行うべきじゃないというのが僕の持論だ。たしかに効果はあるかもしれない。だけど一度味をしめると、ご褒美がなきゃがんばれない子に育ってしまうかもしれない。それに親はいつまでも褒美を与え続けられるわけじゃないよね。自分自身の意思で取り組むように導くのが大人の役目じゃなかろうか。

「自分へのご褒美欲求」は自分からのSOS。

ご褒美が危険なのは、子どもだけじゃない。大人になると「自分へのご褒美」ってよくやるよね。それがスイーツ1つであるうちはいい。でもあまりに高頻度になったり、あるいは高額なものになったりしている場合は、自分の心の声をよく聞いてほしい。

それは自分からのSOSかもしれない。心身が悲鳴をあげているのに、ご褒美という麻薬を使って自分を麻痺させていないだろうか。ご褒美が必要になるほどの苦行は、生活から取り除くべきものだ。解決を第一に考えるべきだということは、頭の片隅に置いておくべきだよね。

ご褒美は節約の敵。

ご褒美という言葉は非常に使い勝手がいい。「ご褒美だから」を理由にすると、何でも許されてしまう。本当は不要だけど、ご褒美だから。ちょっと高いけど、ご褒美だから。ご褒美だから…。

必要なものであれば、あるいはどうしても欲しいものであれば、ご褒美なんて言葉に逃げずに堂々と買えばいい。もちろん何でもOKというわけにはいかない。「年100万円で暮らす僕が、無駄買い防止のために注意している3つのポイント」でも書いたけど、判断基準として手っ取り早いのは一定期間寝かすことだ。たとえば1ヶ月我慢してみて、「ほしい!!」という気持ちが変わらないか、膨らむくらいなら買ってもいいんじゃないかな。

ご褒美という概念は、基本的に節約の敵だと考えたほうがいいです。とくに旅行やブランド品など、高額なものを設定するのは自殺行為。とはいえご褒美はときに強力なエネルギーになるのは事実。そんなときは、ハーゲンダッツ1つくらいまでで、自分を上手に手懐けましょう(`・ω・´)笑

まとめ。

ということで、今日はご褒美の弊害についてのお話でした。ご褒美はドーピングに近く、副作用がある。ご褒美によって自主性を失ったり、自分の本当の気持ちを見えづらくしたり、浪費につながったり…ダメージは決して小さくはないよね。ご褒美は、用法・用量を守って正しく使いましょう

以上、ゆとり隊長でした(๑•̀ㅂ•́)و✧

 


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