野生児のように遊んだ幼き日々があって、今がある。

僕の生まれ育った場所は、自然の多い穏やかな土地だった。家のすぐそばを川が流れ、少し歩けば山に入ることができた。まちの中心地から離れると、田んぼが広がっていた。小学校までバスで通う人がちらほらいて、ちょっと憧れだった。とはいえ主要な道路は舗装されていたし、スーパーマーケットも歩いていける距離にあった。僕はそんな小さな街でのびのびと育った。

良いことと悪いことを学んだ。

周囲の大人たちは本当に暖かくて、優しくかった。子どもは風の子、外で元気に遊ぶのはすばらしいこと。そういう雰囲気があって、それは派手に遊び回っていた。自分の身長の何倍もの高さまで木に登ったり、町中を舞台に鬼ごっこをしたりもした。ボール遊びをしていて、自動車に当てない日はないくらいだった。まるで街は自分たちのものだといわんばかりに走り回っていた。

ぷにぷにの柔らかいボールだったとはいえ、愛車にボールが当たったら、良い気はしなかっただろう。子どもたちがそこらじゅうを駆け回っていたら、それはそれは邪魔だったはずだ。めちゃくちゃ騒がしかったのは間違いない。

そんな僕たちを、大人たちは暖かく見守ってくれた。

大人たちは鬼のように怖いときもあった。大抵のことは大目に見てくれるけど、こっぴどく叱られることも度々あった。でも大人たちの都合や見栄ではなくて、すべては僕たちのためだった。

友達と喧嘩をすることもあった。そんなとき、周囲の大人たちはこっそり連絡を取り合っていたらしい。もちろん子どもの喧嘩に親がしゃしゃり出るなんて馬鹿な真似はしない。自分たちで仲直りするように、うまいこと誘導していてくれたようだ。

そういう街で、僕たちは「やって良いことと悪いこと」を理解していった。何度もやっちゃいけないことをやってしまい、その都度なんでやっちゃいけないかを教えてもらった。他人の気持ちを考える大切さを学んだ。自分の気持ちを伝える必要性を知った。

当時、まるで当然かのように思っていた。だけど年齢が上がるにつれて、ものすごく恵まれていたんだと実感するようになった。今の僕の半分くらいは、当時の大人たちの愛情でできている。

最近の子どもたちは窮屈そう。

最近の子どもたちはかわいそうだ。公園でボール遊びが禁止されたり、部活動の掛け声に苦情が入ったりする世界に生きているのだから。

もちろん、子どもだから何でも許すべきだと主張したいわけじゃない。だけどあまりに窮屈なところで育ててしまっては、子どもの頃に学ぶべき何かを失ってしまわないかが不安だ。

子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気


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