本多静六氏著「私の財産告白」を読んで、節約の極意をまとめてみた。

突然なんだけど、本多静六さんという方をご存知だろうか。Twitter上での交流を通して、本多氏の名前が出てきたんだけど、僕は「あ、聞いたことあるなぁ」くらいで、詳しくは知らなかった。どうやら巨額の財産を築いた資産家らしい。しかし、ただの資産家ではない。「節約」や「貯金」を基盤としており、今でも幅広い層から強い支持がある。

非常に興味がわいたので、氏の著書を読んでみることにした。ということで、備忘録として感想をまとめておくね。とてもじゃないけれど、1つの記事ではまとめられなかったので、今回は「節約」や「貯金」に関することをまとめてみた。もし興味があったら、ぜひ書籍にもあたってみてほしい。(この記事を書くきっかけをくれたωさん、ありがとうございます!)

 

前提条件

今回僕が読んだのは「人生と財産-私の財産告白」という書籍。ページ数については、この書籍に順ずるものとなっている。

人生と財産―私の財産告白

なおこの書籍は、タイトルは似ているが、下にあげる「私の財産告白」「人生計画の立て方」「私の生活流儀」の3冊を1冊にまとめたもの。そのため、お金に関する話だけを読みたい方は、「私の財産告白」を読むことをオススメするよ。

私の財産告白 (実業之日本社文庫)

私の生活流儀 (実業之日本社文庫)

人生計画の立て方 (実業之日本社文庫)

 

本多式貯金法「四分の一貯金」と、その根底にあるもの

四分の一貯金法とは

簡単にいえば給与からの天引き貯金だけど、実によく考えられている。書籍中では以下のように書かれている。

つまり月給その他月々決まった収入は四分の一を、著作収入、賞与、旅費残額などの臨時分は貯金に繰り込む。こうして、また次年度に新しく入ってくる貯金利子は、通常収入とみなしてさらにその四分の一だけをあとに残しておく。これが、私の二十五才の時からはじめた貯金法である。(P.9~)

共感できる部分が多くて驚いた。最近記事にした「年100万円生活ゆとりのシステマチック貯金術」と通ずるものがある。僕の場合は収入の四分の一という計算ではなく、「収入から最低生活費の1.2倍を引いた額」としているが、臨時的な収入はすべて貯金に組み込むべきだという考え方はまったく同じだ。臨時収入があったからといって浪費しているようでは、なかなか貯金はできない。また臨時収入に頼るような家計の組み立て方はするべきじゃない。

ブレンタノ博士の財訓

本多静六氏の貯蓄術は、ドイツ留学中にお世話になったブレンタノ博士の助言が根底にあるそうだ。非常に興味深い話なので紹介しておく。

そのブレンタノ博士が、私の卒業帰国に際して、
「お前もよく勉強するが、今後、今までのような貧乏生活をつづけていては仕方がない。いかに学者でもまず優に独立生活ができるだけの財産を拵えなければ駄目だ。そうしなければ常に金のために自由を制され、心にもない屈従を強いられることになる。学者の権威も何もあったものでない。帰朝したらその辺のことからぜひしっかり努力してかかることだよ」
といましめられた。(P.12~)

どうだろうか。一言一句、すべてに強く同意したい。この書籍の中で、本多静六氏がもっとも伝えたいのはこれなんじゃないかと僕は思う。ぶっちゃけ四分の一貯金なんて、1つの案に過ぎない。別に三分の一貯金でも、五分の一貯金でもいいはずだ。大事なのは、金のために自由を制される状況から脱出することだよね。

ブレンタノ博士の話はまだ続きがあるんだけど、この記事のテーマから逸れるので、その紹介はまた別の機会にするね。

 

本多静六氏の節約思考

貧乏はハシカと同じ。

本田氏は、誰でも一度は必ず貧乏を体験すべきだと説く。

だから、どうせ一度は通る貧乏なら、できるだけ一日でも早くこれを通り越すようにしたい。ハシカと同じでようなもので、早く子供の時に貧乏を通り越させてやった方が、どれだけ本人のためになるかわからぬ。まことに若い時の苦労は買ってもやれといわれているが、貧乏に苦労し、貧乏しぬいてこそ、人生の意義や事物の価値認識を一層ふかめることができるのである。貧乏したことのある人間でなければ、本当の人生の値打ちはわからないし、また堅実に、生活の向上を目指していく努力と幸福は生じてこないのである。(P.16)

僕も同感だ。貧乏という表現が適切かわからないけど、限られた金額で、生活を豊かにしていこうと創意工夫する経験は、早い段階でしておいたほうが良いと思う。僕自身、実家は貧乏というわけではなかったが、裕福というわけでは決してなかった。そのため両親は常に倹約に励み、僕を大学まで行かせてくれた。そんな両親からお金の価値や使い方を学び、また年100万円生活を通して、より理解を深めているつもりだ。

貯金生活の敵は虚栄心

本多氏は、こう書かれている。

貯金生活をつづけていく上に、一番のさわりになるものは虚栄心である。
(中略)
自分のネウチが銀もしくは銅でしかないのに、暮らしの方は金にしたい。金メッキでもいいから金に見せかけたい。こういった虚栄心から多くの人が節倹できないのである。銀はどうせ銀、銀なりに暮らせばいいのであるが、さらに人生をより安全にし、生活をより健全にしようとするならば、むしろ一歩を退いて――事実は一歩を進めて――実力以下の銅なり、鉄なりの生活から出発していくべきだろうではないか。(P.16)

大量消費社会の今、足るを知ること、虚栄心を極力持たないことは、非常に大切なことではないだろうか。金の生活をしたければ、相応の実力をつけるべきだよね。ただ金の生活が必ずしも、銀の生活よりも幸福だとは限らない。どこで折り合いをつけるのかは、人それぞれだ。

天丼哲学「宿願の天丼ニ杯」

すごく印象的だった話がある。個人的には、一番気に入ったエピソードだ。非常に人間らしいエピソードでもあり、きっと誰もが共感できるんじゃないかな。なお、写真が親子丼なのは気にしないように。

本多氏は苦学生時代に生まれてはじめて天丼を食べて、驚嘆したそうだ。そのときは他人からご馳走になっていたので遠慮したが、もう1杯食べたくて仕方がなく、日記にこう記したそうだ。

 「ソノ美味筆舌ニ尽シ難ク、モー一杯食ベタカリシモ遠慮シテオイタ、ソノ価三銭五厘ナリ、願ハクバ時来ツテ天丼ニ杯ヅツ食ベラレルヤウニナレカシ」(P.52)

そして本多氏は海外留学から帰ってきて、この宿願を叶える。

 後年、海外留学からかえってきて、さっそくこの宿願の「天丼ニ杯」を試みた。ところが、とても食い尽くせもしなかったし、またそれほどにもウマクもなかった。この現実暴露の悲哀はなんについても同じことがいえる。
 ゼイタク生活の欲望や財産蓄積の欲望についてもそうであって、月一万円の生活をする人が二万円の生活にこぎつけても幸福は二倍にならぬし、十万円の財産に達しても、ただそれだけではなんらの幸福倍加にはならない。
(中略)
 すなわち、天丼をニ杯も三杯も目の前に運ばせて、その一杯を――誰でも一杯しか食えるものではない――平らげるのは、せっかくのものもウマク食えない。一杯の天丼を一杯だけ注文して舌鼓を打つところに、本当の味わいがあり、食味の快楽がある。多少の財産を自ら持ってみて、私はこうした天丼哲学というか、人生哲学というか、ともかく、一つの自得の道を発見することが出来たのである。(P.52~)

天丼哲学…なんかおもしろい響きだよね。本多氏の人柄を垣間見た気がして、ちょっとニヤリとしてしまった。でもこのことは、僕も日々書いているけど、ものすごく大事なことだと思う。たくさんのサンプルを並べれば、お金と幸福度にはある程度の相関は示されるだろうけれど、決して比例しているわけではない。そんなのは誰もが心身で理解している当たり前のこと。

僕は今「年100万円生活」を実行しているけれど「年200万円生活」に移行したいとは思わない。もちろん多少幸福度は上がるだろうけれど、それとは比にならないストレスの増大が予想されるからだ。生活コストが2倍になれば、それだけ毎年貯蓄できる額が減る。もしこの先に仕事を辞めたとなれば、貯蓄が2倍速で進むことになる。冗談じゃない。そんなことになったら、とてもじゃないが、やってられない。

氏は天丼理論を説明する中で、こう書かれている。

いったい、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。(P.52)

そういう意味では、人生は「変化」が大事なのかもしれない。生活レベルを上げることに幸せを見い出そうとすると、いつか限界が来る。そうではなくて、生活レベルは一定のままでも何か1つ、ちょこっと変えてみる。天丼ばかり食べるんじゃなくて、親子丼にも挑戦してみる。そういうところに幸せを見い出せるような生き方をしていくべきなのかもしれない。

 

本多家式買物法・つもり買いのつもり貯金

本多氏が四分の一貯金法を実行する上で、日々の物欲を抑えるために一役買ったのが、「つもり貯金」という方法だ。

 すなわち、呉服屋のショウ・ウインドウを外から眺めさせて、気に入った柄、気に入った物はいつでも望み通り買うことに賛成した、賛成はするが、それを即座に持ち帰るのではない。
 ただ買ったつもり(気分)にさせるだけだ。そうして、品物はそのまま店に預けておくことにし、ぜひその品物がなくてはならなくなるまで、別にその代金同額を銀行に預けさせておくのである。すると、いつしか欲しいと思ったものもほしくなくなり、必要なものも必要でなくなって、貯金だけがチャンと残るという仕組みなのである。(P.316~)

なるほど。使ったことにしちゃうわけだ。そして実際にその費用分を貯金しておくから、本当に必要なときはいつでも手に入れることができる。

「ちょっとほしいなぁ」くらいのときは、あえてお店で預かっておいてもらう。お店に預けておけば、いつでも取りに行くことができる。しかもそのときどきの気分で、別の商品と取り替えることだってできる。そうやってお店でキープしておいて、必要がなければ買い取ってもらい、元通り貯金として扱えばいい。このお店に預かっておいてもらうという考え方は、ミニマリズムに通ずるものがあるよね。

 

(おまけ)アルバイト・副業の産物

もう1つ、おもしろい話があったので紹介する。それはアルバイトに関する話。意味的には、副業のニュアンスに近い形で書かれている。

 さて、話は前に戻るが、勤労生活者が金を作るには、単なる消費面の節約といった、消極策ばかりでは十分ではない。本職に差し支えないかぎり、否本職のたしになり、勉強になる事柄を選んで、本職以外のアルバイトにつとめることである。
 私のアルバイトは、「一日に一頁」の文章執筆の「行」によって始められた。
 それは満二十五才の九月から実行に入ったことで、私は四分の一貯金の開始とともに、一日一頁分(三十二字詰十四行)以上の文章、それも著述原稿として印刷価値のあるものを毎日書きつづけ、第一期目標五十才に及ぼうというのであった。これには、貯金と同じようにあくまでも忍耐と継続とが大切で、最初はずいぶん苦しかったが、断然やりぬいた。(P.29)

あるときには長期旅行時のために前もって書き溜めをし、あるときには病気で作業がストップしてしまい、後から猛烈な勢いで追い上げたこともあるそうだ。そんなことをしているうちに、40才を過ぎた頃、1日3ページが新しいルールになり、85才当時でも続き、その成果が約370冊の著書らしい。

32字×14行なので、448字。たとえ3ページであっても、1,400字弱。分量だけでいえば、毎日ブログを更新するのと同じくらいのイメージだろうか。僕もブログを開設して約半年間、ほぼ毎日更新したけれど、毎日書くのはなかなかに大変だ。一方で慣れてしまえば、習慣になって楽になる。まさに、日々の努力の賜物というわけだね。

 

まとめ

本多静六氏の「私の財産告白」自体は、半世紀以上も前に出版された本だ。四分の一貯金法や天丼哲学、つもり貯金などが紹介されていたが、特別風変わりというわけではなく、節約に必要な技術や精神は今も昔も何一つ変わっていないんだなぁと改めて実感できる1冊だった。

今回は本多氏の「節約」「貯金」に関する教えを抜き出して紹介した。しかし本多氏からは、投資や人生観に関しても、学ぶことがたくさんだ。そのあたりのことは、また別の機会に紹介しようと思う。

今回紹介した内容の大半は、下の「私の財産告白」に掲載されている。この1冊は、読んでおいて決して損のない1冊だと自信を持っていえる。

私の財産告白 (実業之日本社文庫)

私の生活流儀 (実業之日本社文庫)

人生計画の立て方 (実業之日本社文庫)

今回僕が読んだのは下の書籍で、上の3冊をまとめたもの。こちらはプレミアがついているようなので、上の3冊をバラバラに購入したほうが良いかもしれない。

人生と財産―私の財産告白

以上、ゆとり隊長でした(`・ω・´)!

 


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