僕には「ミニマリスト」という記号は不要。「ミニマリズム」という価値観があればいい。

久しぶりにミニマリスト系の記事を書いちゃうよ! 堅苦しい記事を書いちゃうよ! 眠い目をこすりながら書いてるから、失礼なことを書いてたらごめん(´・ω・`)

「ミニマリスト」という言葉に違和感を持つようになった。

僕がミニマリスト、あるいはミニマリズムという言葉に興味を持ったのは、このブログを始める少し前。2015年はじめくらいだったかな。

当時…というほど古い話ではないけれど、その頃「ミニマリスト」という言葉は、少なくとも日本での認知度は今よりもずっと低かったと思う。極めて少数の人たちが、手探りで何かを探しているところだった。それから半年ほどで、ミニマリストという言葉が、世に広く知れ渡るようになった。

きっかけの1つは、ぼくモノの著者、佐々木さんをはじめ、ミニマリストを名乗る人がテレビなどのマスコミに出演しだしたことだと思う。あるときテレビでミニマリストの特集をみたとき、感想は下記のつぶやきのようなものだった。

この頃から、なんとも言えない違和感を抱くようになっていた。その後、似たような特集はたびたび組まれていたようだし、それに続いてミニマリスト系の書籍がどんどん出版された。

元々僕は、ミニマリズムという考え方が、世間に浸透することを願っていた。だからミニマリストたちのテレビ出演は、僕にとっても喜ばしいはずだった。

だけど、喜びよりも違和感が増幅されていった

個人名称を出してしまったので、誤解を招かないように注意書き。佐々木さん個人を批判するつもりは毛頭なくて、むしろ僕は佐々木さんを尊敬しています。ぼくモノのレビュー記事を書いてるくらいですから。たまたま僕がテレビで見た最初のミニマリストが佐々木さんだったので例示として挙げましたが、他意はまったくありません。またミニマリストを名乗る人を否定したいという意図もなく、僕にはそう感じられるというだけのお話です。不快に思われる方がいらっしゃったら、お詫び申し上げます。。

 

ミニマリストは記号になってしまった。

本題に戻すよ。今日読んだある記事が、すっごくしっくりきて、心に残った。それはミニマリストの小宇宙の管理人・JLGさんの「「ミニマリスト」という消費。記号ゲームは続いている。」という記事。

「ミニマリストです」って言うのが嫌になった

大量消費やブランド志向、もっと新しいもの、もっといいもの、もっと人と違うもの、エンドレスな記号ゲームから降り、自分にとっての必要のみを求めていたつもりが、いつのまにかミニマリストそれ自体が記号、すなわち、消費対象となる。

あぁ、これだ。僕がミニマリストという言葉に違和感を抱くようになった原因は。

少し前まで、ミニマリストは記号でも、消費対象でもなかった。むしろ何かを生み出すような、そんな印象を受けていたんだよね。

だけど気付けば、ミニマリストという言葉に抱く印象が変わっていった。JLGさんの「記号」という表現は、非常にしっくりくる。記号から逃げたかったのに、身軽になりたかったのに、ミニマリストという言葉自体が記号と化した。人によっては称号かもしれないけれど、僕にとっては足枷に感じた。

 

ミニマリストはもはやカウンターではない。消費ジャンルのひとつだ。

本人は「人とちがう個性的なファッション」のつもりでも、他人から見ればよくいる「個性派系」。それすらもカテゴライズの枠内。

そのとおりだと思う。他の人がどうかはわからないけど、僕はミニマリストという枠に入りたいわけではないから、「『ミニマリスト』は属性の1つということで納得してもらえないだろうか。」なんていう記事を書いて、定義されることに異を唱えた。特定のイメージを持たれるのは嫌だったからだ。

前から覚悟はしていたのだけれど、少し前からミニマリストという言葉は、当初持っていた意味以上に、様々な意味を内包していると感じるようになった。僕はミニマリストにはほど遠いから、ミニマリストを自称することはほとんどないけれど、ミニマリストを名乗ると、余計なものも同時に背負うような…そんな印象を受けるようになってしまった。

 

誰も自分をわかってくれない、という主張が共感を集める。それは、自分とよく似た者たちだけの小さなコミュニティだから成立するのであって、多くの人々が喝采で迎えたら、本人は矛盾に苦悩することになるのだ。純粋であればあるほど。

あぁ、わかる。これを認めてしまうと、自分がちょっとちっぽけな人間に見えてしまう。だけどわかってしまう(´・ω・`)笑

 

ミニマリストという肩書きと、ミニマリズムという価値観は違う。

僕は「ミニマリストという生き方が広く認知されることを願う」なんて言っておきながら、実のところ、小さなコミュニティで馴れ合いをしたかっただけなのか。世間にわかってもらえない自分に酔いたいだけだったのか…。

まぁ、完全に否定することはできないかも(`・ω・´)苦笑

でもね。根本的には、そういう話じゃないんだ。僕はブログを始めた頃から、「ミニマリスト」という言葉よりも「ミニマリズム」という言葉を好んで使っている。なぜか。

元々は、僕はミニマリストとは程遠いから、「ミニマリスト」と名乗るのが恥ずかしかった。だからミニマリストではないけれど、「ミニマリズム」という価値観を持っていると表現していただけで、いつか胸をはって「ミニマリスト」と名乗りたいと思っていた。

だけど途中からは違う意味合いで使うようになっていた。ミニマリストは人物を指す言葉。一方でミニマリズムは価値観を示す言葉だ。小さいことだけど、大きく違う。「日本人」と「日本好き」くらい違うんじゃないかなぁ。今から大雑把に説明するから、なんとかニュアンスで読み取ってほしい(´・ω・`)汗

ミニマリストなどの人を表現する言葉は、人物の生き方や振る舞いそのものを指す。これを数式で書くと、『自分 = ミニマリスト』となる。だからときに、一種の肩書きのような扱いになる。以前に「肩書きを名乗るリスク」について書いたことがあるけれど、そういうことが起こりえるし、自分のイメージと違うイメージが世間に定着すると、違和感を抱く原因になる。

一方で、価値観をあらわすミニマリズムという言葉は、人物との主従関係がはっきりしている。価値観は、あくまで人に属する言葉だ。数式で書くならば『自分 ≧ ミニマリズム』であり、ミニマリズムはあくまで自分の一部に過ぎない。先に紹介した「『ミニマリスト』は属性の1つということで納得してもらえないだろうか。」という記事で主張した「属性」という考え方は、ミニマリズムという言葉に適用されるべき言葉かもしれない。

 

僕には「ミニマリズムという価値観」があればいい。

僕はミニマリストを名乗る人を否定したいわけじゃない。皮肉でもなんでもなく、名乗りたい人は名乗ればいいと思う。名乗ることでつながる関係もあるし、伝わることもある。

ただ冷静になって考えると、僕はミニマリストになりたいわけではないというだけの話。ミニマリズムという価値観を生活に取り入れたいだけなんだよなぁ。少なくとも僕にとっては、自分と世間のミニマリスト像を比較すること自体、ナンセンスなことだ。

 

節約やミニマルライフは、すべて「人生最適化」プロジェクトの手段」でも書いたけど、ミニマリズムにしても、節約にしても、あくまで手段でしかないからね。お金が山ほどあれば節約主義は不要になるし、ドラえもんの四次元ポケットがあるのならミニマリズムは捨てるんじゃないかな。現状ではお金やモノの優先順位が低く、より重視したいものがあるから、節約とミニマリズムを利用しているだけ。エコノミニマルがキーワード(`・ω・´)ドヤァ!

 

終わりに。

もうね。JLGさんの言語化能力がほしい。マジで。僕が頭の中で漠然と思っていることを、これでもかというくらい的確に言葉にしちゃうんだもんね。思えばミニマリスト論争のようなものが起こっていた時期、節約とミニマリズムの両立に悩み、迷走していた僕に手を差し伸べてくれたのも、JLGさんだったなぁ。感謝。

関連記事:節約系ミニマリストの本質。~節約目的のミニマリズムという不安定な思想。

 

なんてことを書きながら、相変わらずブログ村のバナーはミニマリストなままなゆとり隊長でした(`・ω・´)!

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