受動的な願望は持たないと決めた。

自分の人生を、運に任せるほど情けないことはない。自分にとっての不都合が、他人由来であることほど、不幸なことはない。結果の良し悪しはあれど、自分のことは自分で決める。受動的な願望は、極力持たないと決めた。反省はしても、後悔はしたくないから。今日はそんなお話。

この記事で書いていることの多くは、僕の昔からの持論だ。しかしいろいろと思うことがあり、以前より強く決意することができた。この感情が消えないうちに言語化しておきたいと思い、備忘録のような感覚でこの記事を書いている。珍しく顔文字を使わず、淡々とした口調で書いていくね。ちょっと暑苦しいかもしれないけれど、気持ちに余裕がある方は読んでほしい。

受動的な期待と、能動的な願望。

受動的な願望とは。

冒頭で書いた、「受動的な願望」とはどんなことを言うか。まずはそこから書いていきたい。

僕がいう受動的な願望とは、自分の意志や努力では叶う可能性が極めて低い、第三者に決定権のあることについての願望を指す。受動的な期待といってもいいかもしれない。

例としては、仕事関係がわかりやすいかな。たとえば今、あなたは残業だらけの部署に配属されているとする。でもあなたは心の中で、期待する。「次の異動で、定時帰りの部署に異動できるかもしれない」と。この場合、あなたがその部署から引っ張られる要因…たとえば資格を取得してアピールしているなど…を自ら生んでいる場合を除き、受動的な願望だ。ほとんどの場合、それは人事担当が決定することで、あなたの意志や努力が影響することはない。

能動的な願望とは。

「受動的な願望」の対義語として、僕が勝手に定義しているのが、「能動的な願望」だ。こちらは非常にシンプル。第三者による介入が小さく、自分の努力次第で叶えることができる願望のことを言う。

最近流行のブログ飯なんて、まさに能動的な願望だ。実現の難易度はともかく、実現するかどうかは、すべて自分次第だ。たとえ大多数に批判されても、100人に1人の心を掴めれば、それはお金になる。失敗してもやり直せるし、方法はすべて自分で選べる。

マンガ家として生活したいというのはどうだろう。これは解釈によるけれど、変に手段を固定しなければ、能動的な願望と言えるはずだ。今はWebマンガなどもあり、とりあえずマンガ家として名乗りでることは容易になりつつある。もしそれが難しくても、電子書籍として売り出すことも可能だ。本当に良いものであれば、自然と評価されるはずだ。

受動的な願望と、能動的な願望の違い。

両者の違いのポイントは、「選択の多様性」と「評価する人の数」だ。受動的な願望と能動的な願望は、きっちりと線引きできるものではないかもしれないけど、大まかに分類することはできる。受動的な願望は、自身の選択の余地が少なく、また評価や決断を下す人間が少数だ。一方で能動的な願望は、自身の選択肢が多様で、その結果を評価する人の数が多くなる。

たとえば、昇給を望むのは受動的な願望だけど、副業でお金を稼ごうとするのは能動的な願望だ。小説を書いて特定の賞を手に入れようとするのは受動的な願望だけど、自分の書いた小説を世に広めようとするのは能動的な願望だといえなくもない。前者は極少数の評価がすべてだけど、後者は自力で様々な方法を選ぶことができ、評価する人の数も多い。

もう1つ例をあげてみよう。芸人としてテレビに出て有名になりたいというのは受動的な願望だ。テレビ番組の制作に関わっている人はごく一部で、出演者の決定権を持つ人は、さらに一握りだ。その人に評価されなければ、夢は叶わない。しかし「テレビに出る」ということにこだわらず、芸人として生計を立てたいという願望なら、能動的な願望といえるだろう。今はyoutuber(ユーチューバー)と呼ばれる人が多く存在し、プロの芸人より稼ぐ人も大勢いる。この人たちは、自分たちの手で道を切り開いたといえるよね。

 

受動的な願望は、百害あって一利なし。

たいてい、現状を打破するには、何かしらを変化させる必要がある。しかし人は変化を嫌う。そんなとき、受動的な願望は、心の隙間に入り込んでくる。苦労することなく希望を見い出せるし、ときには行動しない言い訳にもなるもんだから、何かと便利な存在だ。しかし受動的な願望は、百害あって一利なしだと考えたほうがいい。

受動的な願望は、無意味。

受動的な期待をするのは、決して好ましいこととは言えない。自分自身の力ではどうにもならないものに対して、期待したって仕方がないのだから。また叶わなかったときも、自分のせいではないから、次に生きない。失敗は成功の母というように、自分の意志で行ったことは、たとえ失敗でも意味がある。しかし受動的な願望では、それも望めない。

そもそも受動的な願望は、叶うときは勝手に叶う。願うだけ無駄だ。受動的な願望を抱くくらいなら、能動的な願望を抱き、それを達成するために、試行錯誤を続けるほうが絶対にいい。

受動的な願望は、後を引く。

僕は以前から、受動的な期待はしないようにと意識してきた。しかし「受動的な期待」ちょっと油断すると、心の隙間に入り込んでくる。なぜか。それは、受動的な願望は、それなりの頻度で叶うからだ。1%の確率でしか叶わなければ、誰も期待しない。しかしそれは、30~50%程度の確率で叶う。30~50%というのは、あくまで僕の感覚。でも、わりと良いところを突いてると思う。そこそこ叶う可能性があるものに対して、僕たちは期待してしまうのだ。

しかし過半数は叶わない。そして叶わないときは、後を引く。なぜか。それは負の感情の「もっていきどころ」がないからだ。能動的な願望と違い、自分は悪くないのだから、反省することもできない。ただ、むなしくなるだけ。無意味に気持ちが暗くなるだけだ。

受動的な願望は、自我を麻痺させる。

一番のデメリットは、自我を麻痺させる点だと考えている。

受動的な願望は、ある種のギャンブルだ。物事が、自分の都合の良いほうに動くことにベットする。負けが込むと、次こそは勝てるかもしれないと思うようになる。ここまで我慢したのだから、次こそ、状況が好転するはずだ…そう考えるようになる。受動的な願望の海から抜け出せなくなり、ただひたすら願うだけで身動きが取れなくなる。気付けば自分で努力することを忘れ、そのまま「受動的な損失」を、自然なこととして受け入れてしまう

まさに自我を麻痺させていると言えるのではないか。

 

能動的な願望とともに生きる。

受動的な願望を最小化し、能動的な願望とともに生きるのが、人間らしい生き方じゃないかと思う。

能動的な願望というのは、人それぞれだ。とくに僕は、仕事に能動的な願望を持っている人を尊敬している。医者として、少しでも多くの人の命を助けたいと願う人。絵を描いて、いろいろな人を感動させたいと願う人。イベントを企画して、たくさんの人の笑顔がみたいと願う人。こういう人は、きっと毎日が輝いている。

僕の場合は、時間に追われることなく、のんびりと生きていく…それが現時点で最大の能動的な願望であり、決意だ。年100万円生活だって、そのための布石だ。給与を上げることより、生活コストを下げるほうが能動的だと判断し、今に至っている。そして二次的な目標として、僕がそれを実現させることで、誰かの道しるべになれたらいいなと思っている。この2つを達成したら、また次なる目標、願望が見つかるはずだ。

…さて、あなたの願望はなんですか? それは能動的なものですか?

 

以上、ゆとり隊長でした。重苦しい書き方をしたので、最後くらいは笑顔で(`・ω・´)♪

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